スガショウ@オフィシャルブログ

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スガショウって誰やねん?今更のプロフィール紹介

どうも!スガショウです。

ふと、あれ俺ちゃんとプロフィール書いてないし、紹介もしてないよな・・と今更気付いたので、このページではできるだけサクッと書きます(たぶん)

 

まあ99%の人は興味ないと思われますので、興味ない方はスルー、少しでも興味ある方は読んでみてください!(懇願)せめて最初の「ブログを始めた理由」まではお読み頂けると嬉しいです!

 

まず、スガショウってナニモン?

 

一言で表すなら

 

関西の片田舎出身アラサーで今更ブロガ目指してる人(たぶんw)

 

となるのですがもうちょっと詳しいプロフィールを晒すと

 

出身: 関西

生まれは日本一の湖”びわ湖”のあるSHIGA!(滋賀県

80%の確率で関西圏外の方に「滋賀出身です」と言ってもどこにあるか理解してもらえない。びわ湖のある県ですというとわかってくれる人が時々いる。

因みに近江牛やコアなところで言うとサラダパンが有名かな。

 

年齢:アラサー(20代後半)

 

兄弟います、スガショウは末っ子です

 

なぜブログを始めようと思ったのか

きっかけは超有名ブロガーのあんちゃさんのブログを見て私も自分の今までの経験や考え方、良いと思ったものを紹介してみたいと思ったのが一点。そしてもう一点は「自分が好きなことや情熱を注げるもに夢中になって生きていく」ためにはどうしたらいいのかを発信していきながら自分もそうやって生きている姿をブログという形ではありますが、表現していければと思い「JUST DO IT」の精神で始めてみました。まだまだですが続けていきます。

 

もっと詳細にスガショウの経歴を知りたい方はスクロールダウンしてくださいな(笑)

 

結構長いよ(笑)

 

 

 

 

 

幼少期(そこから書くの!?というツッコミは聞こえませんw)

 

ごく普通のサラリーマン家庭に生まれ、末っ子なので甘やかされて(放任)育つ。

幼稚園では常に元気のあり余っていた子だったようで(記憶が薄い)、大声あげて走り回っていたそうです(笑)。また、昆虫などの生き物が大好きでいつも触っていたし、幼稚園の生き返りでザリガニを捕獲しクラスで飼うことになったり、メダカをみんなで育てたりと半ば自然に”生き物”係になっていた。また帰り道の用水路にてヤゴやその抜け殻を集めるのを日課としていた時期があったのを覚えている(笑)この日課は小学3年生まで続く('ω')

しかしながら年間に2回ほど幼稚園に来てくれる移動動物園ではビビッて大型・中型動物には近づけず、ウサギや子ヤギなどに野菜をあげていた。

さらに芋ほり行事には満面の笑みで参加して、どでかいサツマイモを掘り起こして泥だらけになっていたそうな。

そして思い出してみるとスガショウの初恋は幼稚園のさつき先生だったと思う(笑)ちょっと名前に自信がないんですけどね....(笑)

 

小学校編

 

 極々普通の小学校に行って、義務教育を受けていきます(洗脳)。しかしながら多感な少年なわけで小2の頃は授業中にイキナリ走り出す問題児でした(笑)いやほんと迷惑かけてたなー....そして「あゆみ」という名の成績表には注意書きで

 

「授業中に急に走り出す。」

 

と書かれて母を物凄く心配させましたが、未だにあの時なぜ走り出したのかはわかりません(汗)

 

そして小学2年生からは兄がサッカーをしていたので、その影響を受けて自分もサッカーを始めます。ここだけの話、父は高校球児だったので、兄も自分も野球選手になって欲しかったみたいなんですが、息子達はサッカーを始めてしまうという…しかし父のすごい所はそこからサッカー素人であるにも関わらず自分でサッカーを研究してどんなスポーツで特性があるのかなど、調べ出してサッカー指導の経験者かと思うくらいにまで成長してしまいます!ほんとにストイックな父です。因みに父はスパルタ教育を我々息子たちに施していたので、ガチで怖かった記憶があります。何回もぶっ飛ばされました(笑) 恐らく今の時代だと〇待になってるかもね(汗)

そんなお陰で?私たち兄弟はメンタルだけは強くなっていきました(笑)

まあ父の場合は、なんでもかんでもシバき倒す訳ではなく、わがまま言ったり、サッカーで言えば「消極的」なプレーをしたときだけガチでシバかれました。

そんな感じでサッカーを続けていると練習とスパルタ教育の甲斐があってか、どんどんうまくなっていきました。しかし私の全盛期はこの時でしたね(笑)

その後サッカーは14年ほど続けました。

また高学年からは脚が早くなったので、リレーなどで活躍してモテモテでしたよ(笑)よくあるじゃないですか”小学校あるある”で脚の早い男子がモテるってこと。

付け加えるならサッカーもしていて、マラソン大会で1位だったりもしたので小学生男子がモテる要素しかなかった(笑)脚が早いのは父のスパルタ教育の一環で毎朝、近所を10周していたためです!

 

すみません、自慢が過ぎましたが本当にこの時が全盛期だったと思いますよ(笑)

 

またこの時までは昆虫なども余裕で触れるし、カブトムシ・クワガタとかを家で飼っていました。同時に犬も飼っていてやっぱり生き物が好きだったんだなーと感じます。

大型のハスキーを飼っていたので、体がまだ小さかった私は散歩中にリードごとハスキーに引きずられて大泣きしてました(笑)

あと同世代の方だと共感してもらえるかもしれませんが、最初のポケモンが発売された時期でちょっとした社会現象になっていたと思います。もちろん私もハマって一日中ポケモンをGETしてました!

 

中学・高校編(黒歴史

 

 中学校では今までと打って変わって、クールを気取ってました。所謂、思春期ですよ(笑) 背も一気に15cm伸びて、180cmくらいになったのでノッポで目立ってしまい田舎の中学あるあるの一つで、田舎不良に目を付けられてめっちゃビビりながらも私よりも小さい輩がほとんどだったので、ハッタリかましてやり過ごしていましたが、やっぱり突っかかってくるのでケンカになって先生に反省文を書かされてました(泣)

そんな感じで中学公校ではあまり良い思い出がなく、むしろ学校外のサッカーや活動に力が入っていました。

 

そして家からチャリで5分というだけの理由で近く工業高校に進学を決めてしまいます。あとサッカー友達がその高校に多かったので安易に流された面がありました。

しかしサッカーは続けたいと思ったので、体育大学に進学を決ます。

 

体育大学(関西)

 

 関西の体育系大学といえばかなり大学が絞られてきますね(笑)

ここでもスポーツや身体の事について学びながらサッカーを続けました。こんな感じのサッカーばっかりやっているスガショウですが、何気に教師になりたいと思っていたので教員免許を取っています。しかしご存知の通り、私は教師にはなっておりませんし、なれなかった。将来やりたいことが教師ではないと気付いてしまったので。

そしてあのリーマンショックが起こって、我々には「就職氷河期」が訪れたのでした。今の就職活動は超売り手市場と言われていますが、そんなの信じられないくらい内定取り消しとかたくさんありましたよ!(本気)

東大生でも100社受けて100社落ちるっていう学生もいるくらい寒い市場でした。

そして私も藁をもつかむ思いで就職した会社で”ドツボ”にハマってしまいます。(沼に入りましたってやつです)

 

社会人編

 

 辛くも入社した会社は中小企業の商社でした。とりあえずがむしゃらに働くぞと意気込んでいた私は同期の中で一番に本社の営業課に配属されました。この営業課が沼でした(笑) 典型的な年功序列の会社で、当時ぐらいから「ブラック労働反対」的な情勢だったので少しだけホワイトが入った「ブラウン企業」でした。ブラウン企業という言葉は私の造語ですよ(笑)

しかしまあ30時間以上の残業は残業代が払われずんなんて当たり前で、会社に目を付けられないようにだけして「小利口」に生きることを強制されました。事なかれ主義ばかりの人間が集まっていて自分も思考停止に陥り「何も考えない人間」になっていきました。

そしてこの会社を退社する事を決意したのにはそういった殺伐とした空気と理不尽な上司・無駄な会議など同じ事の繰り返しに訳わからなくなると同時に「自分は何がしたいのか」を考えるようになり、このままでは自分はダメ人間のままで生きることになると感じて日本を飛び出すと決めます(突発的でしたw)

あと余談ですがストレスが溜まり過ぎて、自宅で就寝中に悪夢を見てしまいガラス扉の本棚を思い切り前蹴りして盛大に割ってしまったことがありました・・(汗)

 

 

アメリカ大学留学編

 

その頃、将来的には独立してみたいと思っていたので、経営学を学ぶためにアメリカに留学します。なぜアメリカかというと有名な企業が多く生まれていて起業家精神が日本とは比べ物にならないくらいの文化があったので、環境を激変させるべく貯金だけは多くあったので、英語はThank youとかしか話せませんでしたが何とかしてアメリカの4年生大学に第二学士として入学します。人間覚悟を決めると動けるもんです(笑)

 

全く英語が喋れないので、まずは英語の授業を「英語」で受けるという拷問を半年間受けました(笑)わかっていたことでしたが、苦痛でたまらなかったのですが、自分で決めたことだったので途中で投げ出さず勉強を続けました。ただ所謂「スポンジのように吸収が早く、同時に抜けていくのも早い」タイプだったので英語は大学で生活していくには困らなくなりましたが、細かいニュアンスやネイティブ独自の言い回しには苦戦しました。約3年間留学し卒業しましたが、一度も日本に一時帰国することはしませんでした。なぜなら日本に帰ると英語を忘れてしまいそうで怖ったのと、卒業するまでは帰らないと意地でも決めていたということがあります。

この時期にかなりアメリカ人をはじめ国際的な友人が増えました。今でもFB等でつながっていてコミュニケーションをとっています。また、英語や経営学の勉強以上に行動力や常識にとらわれない精神が鍛えられたかなと個人的には感じていますし、今までほぼ日本人としか関わったことのなかった自分にとって多くの人種が集まるアメリカの大学での異文化理解は私の中にあった”気付かなかった”偏見や先入観を取り払い、新しい価値観を持たせてくれました。本当に挑戦してみて良かったなと思います。

 

そして卒業して帰国後、ある企業にてインターンを長期間に渡って行わせて頂きました。その後、今のようなブログを書くということを行っております。

 

 

 本当に最後までお読み頂きありがとうございます!

これからもやりたいことがたくさんあるのでどんどん発信していければと思います

例 書評・プログラミング・生き方 etc...

 

 今後ともよろしくお願い致します。

 

 

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